

こんにちは、心です。
「俺が若い頃は、徹夜してナンボだったぞ?」と、老人に足をつっこんだおじさんが武勇伝のように語るこのセリフ。
まぁうざいっすよねー。
翻訳するとこうなります。
「私は効率の悪い働き方を強いられ、搾取されてきましたが、抵抗する知能も勇気もありませんでした」
これは誇りではなく、敗北宣言です。
苦労自慢をする人間は、会社(資本家)にとって都合の良い洗脳を内面化し、それを若者にも強要することで、自分の惨めな過去を正当化しようとしているだけです。
耳を貸す必要はありませんよ。
それは先輩の教えではなく、ストックホルム症候群患者のうわ言だからです。
人間関係のROIで考えれば、即、断捨離です!

昭和のおじさんはサンクコストの塊
なぜ、おじさんたちは若者に我慢を強いるのか?
それは、彼らが人生の大半を我慢というコストとして支払ってしまったからです。
経済学でいうサンクコスト(埋没費用)です。
もし、若者が我慢せずに、スマートに定時で帰り、副業で稼ぎ、幸せになってしまったらどうなるか?
彼らが支払ってきた数十年の苦労は、無意味な徒労だったと証明されてしまいます。
それが怖いのです。
自分の人生が無価値だったと認めたくない。
だから、「苦労することこそが正義だ!」「耐えることが美徳だ!」という嘘の物語を作り出し、あなたにも同じ苦労を背負わせようとする。
これは教育ではありません。
不幸の再生産(道連れ)です。。
昭和のおじさんは自走する監視カメラ
資本家にとって、これほど便利な存在はいません。
本来、経営側がやるべき労働者の管理・統制を、同じ労働者である彼らが勝手にやってくれるからです。
・「有給なんて甘えだ!」
・「会社に感謝しろ!」
・「権利を主張するな!」
彼らは、資本家の論理を脳内にインストールされた人間です。
給料ももらっていないのに、勝手に警備員(監視役)を買って出て、若者が脱獄しないように見張っている。
彼らが守っているのは、会社の利益であり、あなたの未来ではありません。
権力側に同化することで、自分も強くなったと錯覚している弱者です。
住宅ローンと役職が、おじさんの牙を抜いた
彼らも昔は、あなたと同じように「おかしい」と思っていたはずです。
しかし、35年の住宅ローンを背負い、家族を持ち、少しばかりの役職(エサ)を与えられた瞬間、思考停止を選びました。
仕組みを疑う側から、仕組みを守る側へ。
体制側に回らなければ、自分の生活を守れないからです。
その結果、彼らは思考を放棄し、前例と慣習にしがみつくようになりました。
彼らが怒っているのは、あなたが間違っているからではありません。
かつて自分が諦めた自由を、あなたが手に入れようとしていることが、羨ましくて妬ましくて仕方がないのです。
俺が若い頃は=俺はシステムを変えられなかった
「俺が若い頃は、もっと理不尽だったぞ!」
そう言われたら、心の中でこう返してやりましょう。
「そうですか。あなたが無能だったおかげで、その理不尽がまだ残っているんですね」と。
先輩世代の本来の役割は、自分が味わった理不尽を、次の世代が味わわなくて済むように改善することはずです。
それをせず、理不尽をそのままバトンタッチしようとするのは、職務怠慢以外の何物でもありません。
そのセリフは武勇伝ではなく、「私は思考停止して現状維持に加担しました」という恥ずべき告白なのです。
人生ROI理論でその鎖を溶かす
資本主義は強大です。
しかし、構造さえ理解していれば、飲み込まれることはないでしょう。
彼らが差し出してくる我慢という名の鎖を、受け取らないでください。
「へえ、大変だったんですね(私はやりませんけど)」と、涼しい顔でスルーすればいい。
彼らを軽蔑する必要はありません。
ただ、資本主義に順応しすぎて自分を失ってしまった悲しいサンプルとして観察し、反面教師にすればいいのです。
苦労は美徳ではありません。
ただのコストです!
コストを減らし、最小のコストで、最大の自由を手に入れる。
それが私が提唱する人生ROI理論の正しい考え方です。

【心(シン)の体験談】うざい元上司がかわいそうに思えた
前の職場に「俺が若い頃はガムシャラに働いていたぞ」と、理不尽な苦労を武勇伝のように語る元上司がいたんです。
当時はなぜかモヤモヤしていましたが、構造を理解した今ならわかります。
あのセリフは誇りではなく、「自分は非効率な働き方に抵抗できなかった」という敗北宣言だったのだと。
自分の過去の我慢やコストが無意味だったと認めたくないから、彼らは苦労=美徳という物語を作り、若者にも不幸の再生産を強要してきます。
経営側の論理を都合よく内面化し、勝手に周りを監視する存在になっていたのです。
それに気づいてからは、元上司の苦労話も、システムを変えられなかった悲しい人としてスルーできるようになりました。
そして、自分は絶対にこうならないと誓いました。

ではまた!


