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ゲームにも意味がある?我が家が子どもに「一切ゲームをさせない」と決めた理由

ゲームは必要なのか

こんにちは、心です。

私は現在5歳と2歳の子どもを育てています。

教育や育児のトレンドを眺めていると、「ゲームから得られる学び」を好意的に捉える声が増えたなと感じます。

eスポーツの影響でしょうか。

「プログラミング的思考が身につく」

「オンラインで協調性が養われる」

そんな言葉を目にすると、つい「これも時代なのかな・・」「勉強になるなら、多少のゲームは目をつぶるべきか・・」と心が揺らぎそうになります。

しかし、そうした風潮を見るたび、私は違和感を感じていました。

「いや、ゲームって普通に悪影響やろ・・・」と。

そして、我が家の教育方針を固めるにあたり、ひとつの結論に達しました。

それは「我が家では、子どもに一切ゲームをさせない(買い与えない)」という決断です!

ゲーム依存の子供

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我が家が「ゲームでの学び」に期待しない理由

世間でどれだけ「ゲームの教育的効果」が謳われていても、我が家ではそれを理由にゲームを導入することはないと思います。

理由はシンプルです。

ゲームで得られると言われているスキルのほとんどは、現実世界の他のアプローチ(読書、スポーツ、リアルな人間関係、日々の失敗)のなかで、より深く、より高い質で得られると思うからです。

決定的なタイパ(タイムパフォーマンス)の差

例えば、「戦略的思考」や「チームワーク」を身につけさせたいのであれば、我が家では地域のスポーツクラブなどで実際の人間関係を経験させたいと考えています。

サッカーや野球などのチームスポーツであれば、言葉にできない周りの空気感を読む力、理不尽な状況に耐えるメンタル、体格差や技術の差を埋めるためのリアルな工夫など、五感のすべてを使った学びが得られます。

また、「論理的思考力」や「知的好奇心」を育てたいのであれば、一冊の本を読み解くことや、実際に手を動かして工作や実験をしてみることの方が、ゲームを何十時間もプレイするよりはるかに高い思考力を養うことができると思います。

「ゲームのほうが子供が自発的に取り組むから効率的だ」という意見もあるかもしれませんね。

しかし、ゲーム内で身につけたスキル(例:特定のゲーム内でのリソース管理や効率的なルート構築)は、どこまでいっても「そのゲームのルール内」でのみ通用する最適化に過ぎず、現実世界へそのまま応用できるケースは少ないと思うのです。

「わざわざ高い依存リスクを冒してまで、ゲームを教材に選ぶ必要はない」というのが我が家のスタンスです。

親として本当に恐れている「依存」

我が家がゲームを完全に排除する理由は、ゲームが持つ「強力な依存性」の怖さです。

ゲームの依存性は、本人の意志の弱さによるものではありません。

その背後には、人間の脳の仕組み(報酬系)を徹底的に研究し、プレイヤーの時間をハックしようとするプロのクリエイター集団が存在しています。

お金の浪費や視力低下も心配ですが、親として本当に恐怖を感じているのは、子どもの精神的な成長における「時間の喪失」と「現実世界の形骸化」です。

① 「手軽すぎる達成感」が奪う、地道な努力への耐性

人間が努力を継続するためには、脳内で分泌される「ドーパミン(快楽物質)」が必要と言われます。

通常、現実世界でこのドーパミンを得るためには、長い時間と相応の労力がかかります。

・テストで良い点数を取るために、何週間も前から机に向かう。

・楽器を弾けるようになるために、毎日地道な基礎練習を繰り返す。

これらはすべて、地味で面倒なコストを伴います。

しかし、ゲームの世界は違います。

コントローラーを数時間操作し、画面上の敵を倒すだけで、派手な演出とともに「レベルアップ」の文字が表示され、現実世界では得られないほどの強烈な達成感が「今すぐ、手軽に」手に入ってしまうのです。

このショートカットされた達成感に脳が慣れてしまうと、子どもは現実世界の「結果が出るまでに時間がかかる地道な努力」をひどく退屈で、コストパフォーマンスが悪いものと感じるようになってしまいます。

最近の若者がコスパコスパと口癖のように言っていますよね?

このメンタリティの破壊こそが、依存の最も恐ろしい側面だと考えています。

② 10代という「黄金の時間」の機会損失

子どもの頃の時間、特に10代の時間は、人生において最も価値の高い資産です。

脳の神経ネットワークが爆発的に成長し、人格や感性の土台が作られるこの貴重な時期に、何百、何千という時間をゲームの画面に消費されてしまうことの意味を、私たち親はもっと重く受け止めるべきだと思います。

ゲーム内で得たレアなアイテムやステータスは、ゲームのサービスが終了すれば一瞬で消え去るデジタルデータに過ぎません。

しかし、その時間を現実の読書、スポーツ、旅、あるいはただ退屈な時間をどう過ごすか考える経験に充てていれば、それは一生消えない「本人の財産」になります。

ゲームに依存するリスクは、これら「現実世界で得られたはずの無数の可能性や体験」を捨てることに等しく、親として最大の機会損失だと思うのです。

我が家はこう考えて、こう実践する

では、こうした危機感をもとに、我が家では具体的にどのような教育方針を掲げ、子どもと向き合っているのか?

我が家の「2つの実践」をお話ししますね。

実践①:家庭内にゲーム機を一切置かない・買い与えない

私はかつて桃鉄(桃太郎電鉄)をやっていて、日本地図や特産品などの知識を得られたと思っています。

しかし、それでも我が家では、「このゲームは歴史の勉強になるから」「友達との話題作りのため」といった理由で、ゲーム機本体やソフトを買い与えることは一切しません。

それを一度でも許容してしまうと、そこからなし崩し的に依存へのブレーキが甘くなると思うのです。

「我が家の生活において、ゲームは必要のないもの。勉強の代わりにも絶対にならない」

この事実を、親子間で共通認識として握っていこうと思います。

中途半端に「1日1時間まで」といったルールを設けるよりも、最初から「ゼロ」にしてしまうことで、ゲームに関する日々の不毛な交渉やトラブルを完全に防いでいます。

実践②:現実世界に「ゲーム以上に面白い体験」を用意する

子どもがゲームを欲しがる根本的な原因は、往々にして「現実世界がつまらないから」「現実世界で承認欲求や達成感が得られないから」だと考えています。

画面の中にしか自分の居場所や刺激がないと感じるからこそ、子どもはゲームをやりたがります。

だからこそ、私たち親の役割は、ただゲームを禁止して終わるのではなく、現実世界を「攻略しがいのある魅力的なフィールド」として提示することだと考えています。

子どもが少し背伸びをすれば達成できるような、リアルな目標(資格への挑戦、スポーツの習い事、趣味の作品作りなど)を本人の興味に合わせて一緒に見つけてあげる。

結果だけでなく、現実世界での地味な努力のプロセスを具体的に言葉にして褒め、家庭内で承認欲求を満たしてあげる。

週末や長期休みには、キャンプに出かけたり、見知らぬ街を旅したりして、ゲームのグラフィックでは再現できない「五感を揺さぶるリアルな体験」を共有する。

現実世界での体験や人間関係が十分に充実していれば、子どもはゲームがなくても十分に豊かで楽しい時間を過ごすことができるはずです。

まとめ:現実という「最高に不条理で、最高に面白いゲーム」へ

ゲームの世界は、どんなに複雑に見えても、すべてクリエイターの手によって「プレイヤーが快感を得られるように優しく設計された世界」です。

しかし、一歩外に出れば、そこにはルールも不条理で、努力が裏切られることも日常茶飯事の厳しい「現実世界」が広がっています。

私は我が子を、ゲームの中だけで無双できる「井の中の蛙」にしたくはない。

現実に立ち向かい、時に傷つきながらも立ち上がり、自分の人生を自分の足で歩んでいける人間に育てたいのです。

現実世界こそが、グラフィックも、自由度も、クリアした時のリターンも、ゲームとは比べものにならないほどスケールの大きい、最高に面白い「ゲーム」です。

画面の向こう側の「お膳立てされた達成感」に触れることなく、この難解な現実世界を自らの力で攻略していくための知性とタフさを、これからも家庭のなかで育んでいきたいと思っています。

ゲームの教育的効果を過信せず、「依存のリスク」を見つめ、あえて「持たない・持たせない」という選択をすること。

それこそが、我が家にとって今のデジタル社会を生き抜くための最良のアンサーだと思っています。

ではまた!

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